1968年、アメリカの宇宙船アポロ8号が一枚の月の裏側から撮った地球の写真を送ってきました。そして、次の年にはアポロ11号が初の月面有人着陸を成功させました。当時37歳だった劉国松はこのニュースに感化され「宇宙シリーズ」をスタートさせます。この「地球何許(ちきゅうかきょ)」という「地球はどうだ?」という意味の作品もこの時期のものです。長方形の水墨画に適した上質な紙「宣紙(せんし)」を使い、丸い月と正確な輪郭線は西洋美術のハードエッジアートに呼応しています。この絵は中国の書道の線と西洋の「フォーマリズム(形式主義)」の美しさを組み合わせ、宇宙と人文、そして地球を通して、その間に存在する機微、無限の壮大な空間の様子と趣を表しています。
戦後、政府とともに台湾に渡って来た作者は、すぐに台湾省立師範学院の芸術学部に入学しました。1956年に学友たちと「五月畫會(ごがつがかい)」という絵画のグループを結成し、完全な西洋化を提唱する絵画の革新を主張しますが、数年後、西洋美術だけを追求するのはよくないと痛感し、水墨画を再開して、水墨画の近代化を積極的に推進します。彼は、書道の筆で表現される線の性質や質感には限界があると考え、多くの新しい材料や技術を考案しました。
たとえば、「粗筋棉紙(そきんめんし)」という紙を発明して、その紙に構図を描き、染色した後、紙の腱(けん)を引っ出して、ひび割れのような白い質感を作りだしました。「抽筋剝皮皴(ちゅうきんはくひしゅん」と呼ばれる技法です。この質感とまるで荒々しい草書のような線、そして濃淡乾き具合がそれぞれ異なる墨の染まり具合、更に彩色の染色を施すことで特異な効果を生み出しました。劉国松は独特の現代水墨画のスタイルを生み出し、美術界で広く賞賛され、「現代水墨画の父」と呼ばれています。