この一対の緑色の玉の「玦」は、長期間土に埋もれていたために暗褐色に変色しています。円筒(えんとう)状で、側面に切れ込みがあり、中を直径約1センチの円い穴が貫いています。このような円筒状の「玦(けつ)」は形が特殊で、対で出土する例は稀です。河南省輝県の琉璃閣甲墓から出土したもので、現在学界では春秋時代中後期、「晋」の高官のものであろうと見ています。
よく見ると、玉の表面には何組かの精巧な龍の紋様が見えます。これは春秋時代後期の典型的な「螭龍(ちりゅう)紋」と呼ばれる紋様です。表面にある龍の頭と鼻の鱗模様には陽刻、つまり浮き彫りが使われ、斜めの羽根文様で表した舌には陰刻が使われています。このような複数の彫り方を組み合わせた彫刻は、当時の洗練された職人技と美学を如実に物語っています。
「玉玦(ぎょくけつ)」は何に使うのでしょうか?紀元前の遺跡からは、人間の頭蓋骨や耳の近くでよく発見されたため、耳の飾であったのではないかと推定されています。古い書物の記録にも、「玉玦」はイヤリングによく使用され、男女兼用で性別を問わなかったと記されています。
このような円筒形の「玦」は、主に春秋時代に流行したもので、アクセサリーとしてだけでなく、弦や弓を引くのに用いるという実用性も兼ねていました。そのほか、「玉玦」はかつて軍の派遣や命令を下す「しるし」としても使われていました。しかし戦国時代から漢の時代にかけて、虎の形につくった「虎符(こふ)」と呼ばれる割符が兵の徴用や派遣の「しるし」として使われるようになると「玉玦」を身に着ける流行も徐々に衰退していきました。
それでは、現代を振り返ってみましょう。古代の玉玦から今現在のイヤリングのデザインを概観してみてください。その技術や素材にどのような変化があったかと思いますか?